12.17.2009

アホウドリへの弔辞





今日は
決して楽しい話しではないのですが
お付き合いいただけるとうれしいです。


マイケルジャクソンのドキュメンタリーを
観ていて、なんか違和感があるというか
ノドにひっかかったような感覚があって
それが何かに、ふと気づいた。

マスコミは
自分たちマスコミの事を称するときは
「マスコミ」と言わずに
「私たちは」と言うべきである。

「おもしろおかしく書き立てるマスコミ」
「スキャンダルを好むマスコミ」
「群がり、フラッシュの嵐を浴びせるマスコミ」
全て、自分たちの姿ではないか。

マイケルジャクソンの「真実」が
いかなるものであったとしても
それを当時取り上げなかったり
恣意的に取り上げたのは
全て「マスコミ」ではなく
「私たち」ではなかったか。

「真実」とやらがあったとして
なぜ、知っていながらその時に
身を挺して世に問わなかったのか。


卑怯である。


同じ気持ちに
COP15のニュースを観ていて、なった。

知っていて
分かっていて
何もしないのは
卑怯である。

何かをするのは
身を挺さなければなしえないこともある。

それはとても怖い事だし
恥ずかしい事だし
なにより
すごくめんどくさい事だ。

でも、
誰かがやるだろう
いつかやるだろう
自分がやらなくても大丈夫だろう
今やらなくても大丈夫だろう
コレくらいなら大丈夫だろう

という一人一人のさざ波が
津波となって
1人の表現者を呑み殺したように
地球(この表現が胡散臭ければ、住環境が)が
居づらいモノになりつつある。

それがCO2のせいなのか
石油のせいなのか
なんなのかは分からないが
確かに起きている事実がある。

少なくとも多くの動物には
住めないモノになってしまっている。

沈みつつある島に住んでいる人達がいる。

電気も水道も無い村に住み
僕たち先進国の人間の食べるものを
作り続けている飢えた人達がいる。

その人達は僕たちで
僕たちはその人達だ。

誰かのためではなく
自分たちのために、
誰かではなく「僕たち」が
身を挺してやらなければならない事があるはずだ。

何が正解かはわからないけど
命をかけたり
人生をかけなくても、
さざ波が津波となるだろう。

僕はそう信じています。


選択できる自由があるうちに
自ら行動した方がイイと思う。


画像はChris Jordanがミッドウェーで撮影した
アホウドリの死骸。
市街地から3,000km離れた場所でひからびていた
鳥の胃袋はゴミでいっぱいです。
鳥にもゴミにも、全く手を加えていないそうです。

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